僕は、何かに生かされている

ただいまの時刻11:38。昨日、札幌から北見に移り、今朝の北見は青空が気持ちよくて素晴らしい朝です。

昨年末から僕はこれまで味わったことのない激動の渦の中にいますが、大動脈解離発症時は死がそこまで迫って来たし、その後皆様に助けていただきながら心身が奇跡的に回復し、「よく生きていられるなぁ」と自分でも感心してしまうほどです。

でも、ここに来て色々な試練が自分に押し寄せてきました。仕事のこと、人間関係、収入の問題、将来への不安…。特に8月後半以降は様々なことが起こりすぎて、必死に自分を支えているという感じがします。

でも、気づけば起業してからの5年間、こんなことの連続だったように思います。

「もうダメかもしれない…」と思う瞬間はいくつもありました。

その度に「自分はなんのために生きているのか?」「こんな苦しい想いをしながら生きる意味はあるのか?」と自問自答することがたくさんありました。

サラリーマン時代は組織が自分を守ってくれていたので感じませんでしたがが、いざこうして自分の足で社会に立っていると、自分にとって良いことと、悪いことは、絶妙なタイミングでバランスよく起こる感じがします。希望に旨が躍って未来が明るく見えたり、絶望に包まれて目の前を見失ったりと、その連続ですが、でも、僕は死んでない。今もこうして生きているじゃないか。実は、これってすごいことかもしれない。

突然話しは昨年11月にさかのぼりますが、大動脈解離の手術の後、僕はICUに隔離されて3日間ほど治療を受けましたが、その時に、分かったことがあるんです。

生と死のギリギリの場所にいたからこそ分かる、深い境地だったからこそ、味わうことができた特別な感覚。

それは、「自分は、生かされている」という感覚です。

管だらけでベットに寝かされ、身動きが取れない状態でしたが、その時僕は何もできない息をしているだけの生命体でした。「生きたい」という意思も特にありません。

僕は、ベットで寝ていてボーッとしているだけなのに看護師さん、お医者さん、看護師さん、病院という施設、ICUという部屋、医療機器、そこに関連する多くの企業や人々、そしてその時はまだ会えませんでしたが、家族やお取引先、友人、知人、多くの人々が、僕の命を生かそう生かそうとして色々と動いてくださっていた。

その時、ふと浮かんできたのが「あれ?これって、俺が生きたい、死にたいという意思にかかわらず、周りが俺を生かそうとしてくださっているのでは?」という一風変わった思いでした。

そのとき「俺は、何かに生かされている」という感覚が降りて来て(というかピーンと来て)、大切なことに心身が気づいてしまったのです。

話しは戻りますが、最近続いている不思議な出来事、心への大きなダメージ、どうしていいか分からなくなっている不安定な自分。このままどうなってしまうのか?大きな不安感に包まれていることは確かです。

でも、どんなことがあろうとも、俺は絶対に腐らない!前を向いて歩き続ける、俺は絶対に復活する!そう信じていますし、必ずそうなります。

それは、「生かされている」という命の神秘に気づいたからであり、今の状況は生きていることを実感するために神様が与えて下さった試練だと思っているから。

とにかく暗く考えたらキリがないので、今は明るい未来だけを考えて、自分ができること、やりたいことを前向きに考えて、試練を楽しく乗り越えてさらに成長したいです。

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