志村 けんさんへ

 志村さん、あまりにも突然のことで、信じられません。悲しみと言うよりも、まだ状況を理解できずに茫然としている感じです。

 でも、この事実はしっかりと受け止めなければなりません。そして、前に進んで行かなければなりません。

 ここではただ純粋に、志村さんへの感謝の想いを伝えたいと思います。

 僕が生まれたのは1975年。物心がついた時から、家には普通にテレビがあり、最初はガチャガチャと手でチャンネルを回すタイプでした。

 幼い頃のぼんやりとした記憶として、両親がテレビを見ながらゲラゲラと笑い転げているので「どうして笑っているんだろう?」と思ったら、小さなテレビ画面から『ドリフの大爆笑』が流れていました。

 最初は、幼すぎて“笑い”が理解できませんでした。やがて、僕にも友達ができて、好きな女の子ができて、先生や近所の大人たちとも色々な関係ができて、“社会の一員”として自覚してから、喜んだり、悩んだり、苦しんだりすることで、“笑い”の意味を覚えてきたのだと思います。

 「8時だよ全員集合!」の時は毎週土曜日の夜、「ドリフ大爆笑」の時は1ヶ月に1回くらい(?)、「加トちゃん ケンちゃん ごきげんテレビ」の時は毎週土曜日の夜、この時だけは本腰入れて“思いっきり笑える日”ということでワクワクしていたのを思い出します。バリバリのサラリーマンで、猛烈に忙しかった父もテーブルを囲み、その時だけ“一家団欒”でゲラゲラ笑いながら、“家族の雰囲気”を体感できたと思います。

 とは言え、僕の青春時代は、とても不安定でした。何をやってもうまく行かず、家族とも上手に向き合えず、大好きだった勉強が大嫌いになり、好きな女の子にはフラれ続け、「俺は、何のために生まれてきたのだろう?」と自問自答する日々が続きました。

 転校や転居の度に、精神的にもやられましたが、そこで励ましてくれたのが普段と変わらない志村さんの“笑い”でした。

 いつしか、大好きだったドリフが終わり、いかりやさんが亡くなって、社会人になってからはテレビとも距離が生まれてしまいました。志村さんの番組を見て“笑う”ような心の余裕はなく、最近ではたま〜に志村さんをテレビで見かけるような感じになってしまいました。

 「忙しい、忙しい…」と言いながら、小さい頃のように心の底からゲラゲラ笑ったことって、最近はないのかもしれない。

 でも、失って初めて気づくことがある。

 志村さんって、僕の中でとっても大きな存在だったんだ。

 「笑う」ってことを、教えてくれた人。それが、志村さんなんだ。

 ん?ちょっと待てよ。

 逆に考えると、志村さんは「笑わせること」のプロだった。

 「意図的に、人を笑わせる」って、すごく難しい。それを全国のお茶の間に届けるって重圧が凄すぎて、僕だったら滅入ってしまいそう。 

 だけど、志村さんは、僕が物心ついた時からフツーにテレビに出ていて、笑わせてくれることが大前提の存在で、結果的に予想を上回る笑いをプレゼントしてくれました。

 “志村”を見ながら大爆笑して育った僕は、気づくと44歳になりました。一丁前に自分でお仕事を始めて、紆余曲折ありながらも、いろいろな経験をさせていただいています。お客様との良い関係づくりに「笑い」は大切な要素で、いつでも笑い合える関係を大切にしています。

 そして「だいじょうぶだ〜」って、今の僕にとって、ものすごく心に染みる言葉です。そう、絶対大丈夫!

 直接、お会いすることはできませんでしたが、この訃報に接することで、改めて志村さんの存在の大きさを知りました。「笑い」という1つのテーマを追求し続けた生き方を見習って、僕もがんばろうと思います。

 天国に行ったら、ドリフのファンが山ほどいると思うので、いかりやさんと一緒に「8時だよ!」をやってください!

 本当に、ありがとうございました。そして、お疲れ様でした。安らかに、お眠りください。

合掌

2020年3月30日 境井健志

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